怒涛の2学期の始まり

 2学期が始まった。子どもたちにもそろそろ会いたくなっていたので、学校が始まってうれしい。夏休みは子どもと離れて過ごすので、体力的に楽な面もあるけれど、振り返りを促す体験が生まれにくいので(一人だと内省するしかない)独りよがりになりがちな気がする。だから、僕は子どもと一緒に過ごしているときのほうが精神衛生上良い。一昨日は学校で子どもたちを迎えた。いつものおなじみの面々。やっぱりみんなかわいいなあと思う。

 始業式の始まるまでの朝の会でサークルになって夏休みの近況報告についておしゃべり。サークルに目をみやると、男子と女子がパキッと別れて座っていて、思わず笑ってしまった。モーゼの十戒で海が真っ二つに割れるシーンがあるけど、まさにあんな感じ。「男子と女子、見事にぱっきーんとわれてるね!」と突っ込んだら、みんな笑ってた。まあ、新学期始まったばっかだしね。あせらずにいきますかねー。また、9月から子ども同士の横のつながりを耕していこう。子どもたちにとって、同性だけで固まるのはそれがCゾーンだからなんだよね。それはそれでオッケー。PAや日々の関わりの中でその範囲を徐々に広げていければいいかなって思う。来週の水曜からは、3泊4日の八ヶ岳合宿。2学期が始まって、早々に合宿の準備で今はかなりバタバタ。来週は、振り返りの価値、C/S/Pゾーンについての説明にからめて成長について、子どもたちに伝え、一緒に考える時間をとっていきたいと思う。

 ブログは、いい文章を書こうとすると続きませんね。今日は、かなり勢いに任せてだだーっと書きましたが、これからはこんな感じでやっていこうとおもいます。

作家の時間のミニレッスン

もうすぐ1学期が終わってしまう。大きな反省点は、作家の時間がうまくまわらなかったこと。「書き出しの工夫」「比喩」「修正の仕方」「校正の仕方」といった、基本的なミニレッスンはしたものの、子どもたちの創作活動が加速せず、それに対して有効な手立ても打ち出せず、子どもも僕も悶々とした1学期だった。ミニレッスンを、子どもたちの実態に応じてこちらでカスタマイズしたり、0からデザインしたりする必要があったなと痛感してる。2学期にこの状況を立て直すために、夏休みにやれることはやっておきたいです。

 

創作活動における子どもたちの課題

  • 延々と続く会話文。

 会話文だけが延々と続くと、読み手は誰が何を言っているかついていけなくなりがち。地の文と会話文のバランスを考えさせる手立てが必要。

  • 出来事と出来事の間の描写がない。

 出来事と出来事の間を細切れに描写していくことで、情景を読み手に喚起させることができる。物語の進行もスムーズでなめらかになるので、読みやすくなる。出来事と出来事の間のグラデーション的な描写がなく、物語がぶつ切り感満載で進んでいくと物語に入り込みにくくなる。

  • プロローグで挫折。その先に進めない。

 ホワイトボードやイメージマップは、物語の設定に関するアイデアの発散には適していたし、うまく機能していたように思う。だから、子どもたちは饒舌なプロローグを書くことができていた。しかし、問題はそこからで。発散されたアイデアをもとにして、そこから物語をどう構築していくか。みんなそこにぶち当たっていて、プロローグから先に進めない。進めたとしても行き詰ってしまって物語を完結できないパターンが多発。解決のためには、物語の全体設計図を提供する必要があると感じている。石原千秋氏や工藤順一氏なんかの著作にはそこらへんの問題に対する有効な手立てがある気がしていてリサーチ中。石原千秋は、物語の型の分析を著作の中で行っていたけど、そういう知見をミニレッスンに生かすことを検討していきたいと思ってる。ただ、ひっかかってるのは、物語の構造をこういうメタな視点で批評的にとらえさせることが、何か大事なものを子どもから奪うのではないか?という意見。そういう考えもあるということは頭の片隅にいれてはおきたいとは思う。

深呼吸の必要

4月〜5月に比べると、子どもたちともある程度の関係性が築けたという安心感からか、自分に緊張感がなくなり無駄にテンションが高くなってきたきたように思える。具体的に言えば、子どもの言動に対して、脊椎反射的に反応しがちになっているということ。

例えばこんなエピソードが今日あった。僕がみんなに何かを話している時に、ある子が途中で話に割って入ってきた。彼なりに言いたかったことがあったんだろう。でも、僕は思わずカチンときて「まあ、人の話は最後まで聞きなよ!」と頭ごなしにその子の発言を封じ込めた。彼の不服そうな顔。僕は「あ、やっちまった」と思った。後悔するも遅し。なんであそこで僕はあんなにカチンときてああいう態度を思わずとってしまったのか。「先生の言うことを子どもは最後まで黙って聞くべき」という考えが自分の中に強くあることに気づいた。あそこであんな風に反射的に高圧的に反応しなくても、もっと穏やかでしなやかに、過刺激にならないやり方で対処することもできたはずだったのに。

1学期の最初の方が、感情的にならずに、子どもたちの有り様や振るまいを冷めた頭で観察し、一呼吸おいて子どもと向かい合えていたと思う。教員が脊椎反射的な反応をすれば、当たり前だけど子どもたちもそういう反応をする。子どもの姿は自分の姿と鏡合わせ。自分の子どもとの向かいあう時のリズム、ペースが早くなっている。深呼吸しないといけない。 

動画に完敗

 今、分数の異分母同士のたし算・ひき算に子どもたちは取り組んでいます。先日、e-boardという学習コンテンツの存在をfacebookで知り、実際に学習用動画を見てみたんだけどそのわかりやすさにびっくり。自分の下手な説明なんかより学習コンテンツの動画の方が、よっぽど教え方に無駄がないしずっと洗練されていてわかりやすい!と思い、授業の最初のミニレッスン(10分間)を動画視聴にしました。子どもからは「ほっしーさぼってる〜!」と言われた(笑)けど、子どもたちは結構動画を楽しみながら見ていました。で、視聴後は友だちと教えあいながら問題に取り組み授業は終了。最後に「今日の算数を振り返って。ほっしーと動画、どっちがわかりやすかった?気をつかわずに本音でどうぞ」というお題で振り返りジャーナルに振り返りを書いてもらいました。

 結果、クラスの約50%が動画を支持!気をつかって、ほっしーのほうがちょっとだけうまかったです、動画の声よりほっしーの声が好き、みたいな感想が多かったので、おそらく本音は動画のほうが子どもたちにとって分かりやすいんだろうな。というわけで、動画に完敗!笑 ちょっとこれから積極的に動画を授業に組み込んでいこうかなと考えてます。反転学習的な試みもやってみるつもり。また報告します。

 

おすすめのオープンエデュケーション 3選

eboard [いーぼーど] | 動画と問題で1から学べる無料学習サイト

Khan Academy

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保護者会でエニアグラム

 もうすぐ授業参観+保護者会。先月の個人面談で感じたのは、自分と異なる個性をもった子どもをどう理解し、接していけばいいかわからない親御さんが多いなあということ。確かに僕ら大人は、自分自身と同質の個性をもつ子どもを「いい子」とし、自分の子どもにその「いい子像」を求めてしまいがち。でも、なんだかこれって残念。親が子どもの個性を面白がって、楽しみながら子どもと向かい合えたら、子育てが楽しくハッピーなものになるんじゃないかな〜と思った。

 というわけで、次回の保護者会では、親と子のパーソナリティのタイプをエニアグラムで診断し、みんなで盛り上がる予定。相性や付き合い方についてエニアグラムの本をひもときながら解説もしよう。あと、親と子のエニアグラムのタイプがわかれば、同じタイプの子どもをもつ親同士でグループになってディスカッションすることもできるし、これも楽しそう。とりあえず、この方向で進めてみようと思う。

このサイトで自分のタイプを診断できます。ちなみに僕はタイプ1の「完全主義者」でした。確かに当たってるカモ。

communication-lab.net

アサーションが鍵なのかも

「このクラスがもっとよくなるための課題ってなんだろう?」をお題に、子どもたちに振り返ってもらった。大別すると3つの課題が子どもたちから出た。①何かするたびにおしゃべりが多くて切り替えが苦手、②落とし物が多くて整理整頓が苦手、③言い方がきつい人が多い。①、②は確かに問題ではあるけど、それよりも僕は③が前から気になっていたので、近々子どもたちと一緒に考えていきたいなあと思ってる。というわけで、本日、数年前に買って積ん読状態になっていた平木典子さんの『アサーション入門 自分も相手も大切にする自己表現法』をやっと読了。教育哲学者の苫野一徳さんは、公教育の本質を「自由の相互承認」の感度を育むことだと言っている。

わたしたちは、自分が〈自由〉になるためには、他者の〈自由〉もまた、つまり他者もまた〈自由〉をもとめているのだということを、ひとまずお互いに承認し合う必要がある。そしてその上で、相互の納得が得られるように、互いの〈自由〉の在り方を調整する必要がある。(『教育の力』苫野一徳著 講談社現代新書より)

だとすれば、アサーティブなコミュニケーションの作法を学び身につけることは、「自由の相互承認」の感度を育むことに役立つんじゃないかなと思う。なわけで、アサーションを実践にどう組み込むか思案中。とりあえず、自分の周りの人たちにアサーティブなコミュニケーションができる人にならねば。笑

教師の学校に行ってきた

 先週末、岩瀬直樹さんと苫野一徳さんが講師の「教師の学校」の第一回目に行ってきた。自分の教員人生を振り返ってみると、自分の二大転換期があったんだけど、一回目が岩瀬ショックで二回目が苫野ショックっていうほど、自分の価値観を変えてくれたお二人なので、このワークショップ本当に楽しみだった。そして期待を裏切らないすばらしいワークショップだった。これが6回続くなんて贅沢すぎる。この半年は「教育の力」を何度も読み直して『自由の相互承認』についての考えをじっくり深めていきたい。