「先生ってゲイなの?」にどう答えるか

「先生ってゲイなの?」という質問をされた場合、どのように返すかここ数日考えている。多様性(LGBT)教育の実践をするのであれば、その質問に対して、自分なりの答えを用意しておくことが必要だと思う。

もし、そういう質問がされた場合、「僕がどういうセクシャリティであったとしても、その質問には答えません。」と答えようと思う。学校であっても、というか学校だからこそ、異性愛者じゃない人が差別されるリスクは高いよね? という前提をみんなで確認した後、次の2つの理由を子どもに伝える。

まず一つ目。異性愛者でない人(以下、マイノリティ)がこの場にいて、僕がその質問に答えた場合、マイノリティを苦しめる構造を作り上げることに加担してしまうから。差別されるリスクがない人(マジョリティ)にとっては、自分のセクシャリティを明かすことは、何の問題もないだろう。けれども、マイノリティにとっては、セクシャリティを明かすことは自身の存在をかけた死活問題だ。もしかしたら、そんな質問なんて気にせず、自分のセクシャリティを答えられるという人もいるかもしれない。けれども、全てのマイノリティがそこまで吹っ切れているわけではないし、マジョリティの中にだって、自分のセクシャリティに関することはプライベートなこととして人に言いたくない人だっている。それなのに、先生という影響力の大きい存在である僕が、その質問に答えてしまったら、「人にセクシャリティを聞かれたら答えるのが普通、答えなければならない」という暗黙のメッセージを発してしまう。

そして二つ目。その質問に答えることが、誰にとってもプラスにならないから。教員が異性愛者以外の場合、YesであれNoであれ、その質問に答えること自体が苦痛なのは明らかだ。また、教員が異性愛者であったとしても、その質問に答えることで、センシティビティの高い他者(子ども、保護者、同僚)に「配慮の足りない人」と思われてしまうだろう。

セクシャリティに関して聞くことをタブーにしたいわけではない。私的で親密な人間関係においてセクシャリティを語ることを否定しているわけではない。ただ、学校、教室というパブリックな空間において、プライベートな質問をしたり、それに答えるということは適切ではないということだ。

LGBTについての実践をしていく上で、このような質問に対する適切な回答はどのようなものか、みんなで考えていきたいし、いろんな考えを聞かせてほしいと思います。

 

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予期せず「責任の以降モデル」

Apple Pencilを使いたくてiPad Proを昨年末に購入してから、授業スタイルの幅がうんと広がってすごくいい感じ。iPadのコントロールセンターに画面収録を追加すると、手軽に講義動画を作ることができるので重宝しています。さて、僕が担任する6年生は、来るべき中学入試にむけて(内部生と言えども入試を受けなければいけないのです)基本的な文章題は解けるようにしておこう!ということで、現在、線分図や面積図の基本に取り組んでいるのですが、その講義動画を早速iPad Proで作ってみました。

 

授業(1コマ40分)の構成としては、

①:ミニレッスン(線分図を使った解法の説明)【5分】

②:自分にあった学習スタイルを以下の3つのコースから選択し学習に取り組む【30分】

(A) 自信がないので先生に教わるコース(担当教員:星野)

(B) 友達同士で教えあって学習を進めるコース(担当教員:隣のクラスの教員)

(C) もっとレベルの高い課題に一人で取り組むコース(担当教員:学習支援員)

※この授業は、学年全員で同じ時間に取り組みました。場所も3箇所に分かれ、3つのコースそれぞれに教員を一人ずつつけて行いました。

③:ふりかえり【5分】

 

の3部構成にしました。算数は個人の学力差が非常に大きいため、同一の課題を全員が同じペースでやること自体無理があります。得意な子たちにとって、足踏みをしなければならない授業ほどつまらないものはないし、わからないままどんどん進む授業はしんどい子たちにとって本当に辛い時間になってしまいます。どんな学力レベルの子も自分の伸びが実感できる授業にしたいと思います。だから、自作テキストも基本レベルの問題から発展レベルの問題まで収録し、その上で授業の中でも自分にあった学習スタイルを子どもたちが自分で選択するシステムにしました。

 

結果的にはこのやり方はとてもうまくいき、学力的に非常にしんどい子が、学習課題を全て自力で解けるようになったことに立ち会えたのは本当にうれしかったです。本人もまさか解けるとは思っていなかったみたいでびっくりしてました。きっと大きな自信になったろうし、まわりも祝福していて、僕も自分のことのようにうれしかったな。

 

授業後、となりのクラスの先生に「『責任の以降モデル』に沿った授業デザインだったね」と言われました。『「学びの責任」は誰にあるのか』という本でそれが紹介されていることは知っていたのだけど、具体的にそれがどういうものなのか未読だったのでわかりませんでしたが、読んでみたら確かに『責任の以降モデル』に沿った授業デザインになっていました。

 

『責任の以降モデル』とは

①教師が焦点を絞った講義をしたり、見本を示したりする(焦点を絞った指導)

②教師がサポートしながら生徒たちは練習する(教師がガイドする指導)

③生徒たちが協力しながら問題解決や話し合いをする(協働学習)

④生徒は個別に自分がわかっていることやできることを示す(個別学習)

の4つのステップからなるモデルのことです。

 

確かに、今回の授業は、

ミニレッスンが、焦点を絞った指導

(A) 自信がないので先生に教わるコースが、教師がガイドする指導

(B) 友達同士で教えあって学習を進めるコースが、協働学習

(C) もっとレベルの高い課題に一人で取り組むコースが、個別学習

というように、『責任の以降レベル』にばっちり対応していました。シンクロだね!笑

 

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でもね。もちろんこの子ができるようになったのは、『責任の以降モデル』だけではない様々な要因があると思うのだけど、線分図という思考ツールを獲得できたことも大きな要因な気がします。数値同士の関係性を図や表にして整理して「見える化」することができれば、算数の文章題は7割解決したも同然です。ただ、「見える化」するための思考ツールを今まで算数の授業でしっかりと教わってこなかったのだと思うのです。改めて、思考ツールとしての線分図や面積図の重要性を認識しました。

 

中学受験を勝ち抜くためには、その問題がどのようなパターンなのか瞬時に見抜き、スピーディー問題を解く中国雑技団的な特殊能力が求められます。だから、学校という場では受験算数を忌避する空気があることは確かだし、授業で線分図や面積図を教えることは、算数を「生き生きした学び」から「無味乾燥な機械的な処理」へ貶める行為と捉えられてしまいがちなのはわかっています。でも、そういう指導が受験指導だから学校現場ではそぐわないという考えで思考ツールを与えないというのは間違っていると僕は思うのです。そこら辺の話、長くなるのでまたおいおい書きます。

 

ちなみに子どもたちにこの授業スタイルについてフィードバックをもらったのですが、ほぼ全員が満足していて、授業していてもかなりの集中度で取り組んでいて、手応えを感じました。講義動画はYouTubeにアップしてカーンアカデミー的に何度も視聴できるようにしたいと思っています。子どもたちにとっての教材になるだけでなく、他の先生たちもこの動画を使ってもらえればいいし、必要ならばブラッシュアップさせたものをどんどん作ってもらってほしいくらいです。この授業スタイル、卒業までしばらく続けていく予定なので、まとまったらちゃんと校内研修で報告したいと思います。

 

 

 

 

 

プロジェクトYDK(やればできる子)発足!

 

 自主学習ノートで、ある子が「私は算数でとてもくやしい点をとって本当になさけなくて自分をせめています。算数を得意にしたい。苦手をこくふくしたい。かしこくなりたい。私は自分のことが本当になさけないと思っています。ちょっとずつでもいいから変わっていきたと本気で思っています。YDKになりたい。先生、力をかしてください。」ということを書いてきた。切実さ、本気さが胸にしみた。こんなこと書かれたら、何とかしてやろうじゃないの!!という思いに火がついちゃって、スクールウォーズ山下真司ばりに最近熱くなっています。(殿的教員に程遠いですね) 

 そういう経緯もあって、最近、Project YDK(やればできる子)を発足させました。勉強に自信がない子、学力的にしんどい子たちに、とにかく結果を出してもらい自信をつけさせることが短期的目的。クラスにYDKになりたい子はたくさんいて、彼らが必要としているのは、有効な学習方略に関する情報だと思っている。基礎学力不足に対する個別的ケアも必要なんだけど、それだけでは根本的解決にはならなくて、目指すべきは、彼らを自律した学習者にすること。だから、学級通信で、学習方略に関する記事を連載しようと思う。具体的には、今年度になってから急激に学力を伸ばした子が数人いるので、彼らにその秘密を聞き出して、雑誌の記事顔負けのインタビュー記事(写真付き)にして載せようかと。こういうときに、元雑誌編集者だった頃の血がさわぐわ〜。

 動機付けで一番強力なのは、憧れベースの動機付けだと思う。憧れベースの動機付けは、自分の憧れの存在から薫陶をうけることで、内発的動機付けを持続させるもの。友だちが自分の学習における憧れモデルとなるなんて最高だ。先生や親が「こうしなさい」って言うよりも、ずっと教育力がある。僕が具体的な学習法を教えるよりも、友だち同士で相談し合う仕組みを作ることが何よりも大事なんだろね。総合の時間でやっている会社活動なんかで、学習コンサルタントって仕事が子どもたちの声から生まれたらしめたもんだ。いかにして子どもたちの心に火をつけるか、そのための具体的手立てをここんとこずっと考えている。またブログで報告します。

 

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あつくるしくてごめんなさい。イメージ図。 

Creep

Creep

 高校時代を思い出す。

 

 

記憶が鮮明なうちに運動会の振り返り

 うちのクラスの子どもたちが所属する白組が圧倒的な強さで勝ってしまった。どの学年の対抗競技も白が全勝という結果。去年もそんな感じで白組が勝ったんだけど、なんかそういう気のめぐりというか、運気の流れみたいなものが影響してるのかな。よくわからないけど。

 ところで、僕の担任する5年生。1学期の終わりから子どもたちは意識していたリレーで、めでたく勝つことができた。隣のクラスとの合同練習では、どんぐりの背比べな感じもしてたから、どうなることやらとは思っていたけど、みんなよく頑張った。記憶がまだ鮮明なうちに、この結果に至るプロセスを書き留めて振り返っておこう。

僕のクラスが勝った、考えられる要因としては、

①自主学習ノートで速く走るコツや、スムーズなバトンパスのコツを研究していた子が多かったこと。リレーの練習がある種の文化になっていた。

②基本、リレーの練習は子どもたちに任せていた(子どもたちがやる頻度、いつやるかすべて決めた。そこらへんも含めて子どもにまるなげ)が、やる時には常に子どもたちに付き合って「いいね!いいね!」と声かけしていたこと。僕自身、リレー指導の専門性をもっていないので、技術に関する具体的な有効な声かけやアドバイスはできなかった。笑 せめて気分だけはアゲてこ!みたいな感じで、「すごいじゃん!」「センスあるねえ〜」と声かけして、みんなが気持ち良くリレーに取り組めるようにした。改めて、言葉の力って大きいなと思った。

③リオオリンピックの影響。

④クラスの女の子のお姉さんが陸上部所属の中学生でリレーコーチとして、直前の2日間に指導に来てくれたこと。(異学年交流)中学生のめちゃくちゃうまいバトンパスをみて、子どもたちの「あこがれスイッチ」がオンに。すごいパフォーマンスをみて、自分もそうなりたい!とそのすごさに「感染」した子どもたち。学びのインセンティブには「外発的動機」「内発的動機」があるけれど、加えて「感染的動機」ってのもあるのだろうな。

⑤納得いくまでとことん、みんなで作戦会議をしたこと。直前に相手チームにぼろ負けしたことで、子どもたち(+僕)が動揺し、一度決めた走順をクラス全員で話し合って3箇所変更してしまった。しかし、その話し合いの場でモヤモヤしたものを抱えたまま変更に反対できなかった子どもたちも一定数おり、翌日、変更をもう一度考え直して欲しいという訴えが噴出。その訴えを引き取って、再度みんなでまた話し合い、一箇所を除き当初の走順に戻すという紆余曲折を経たこと。一般的には、一度決めた走順を直前で変更するのはセオリーに反することであるけれど、本番にむけてできる限りの作戦を立てたというスッキリ感と納得感を子どもが持てたのはよかったと思う。たとえ負けてもあれだけ話し合って決めたんだから悔いなし!みたいな。

⑥僕がすべての子どもに一律のコミットメントを求めなかったこと。前のブログ記事でも書いたけど、「優勝目指してみんなでゴー!」みたいなノリがしんどい子もいれば、どうがんばってみてもやっぱり走るの苦手みたいな子もいるわけで、そういう子たちに、リレーに命をかけてる多数派と同じコミットメントの深さは求めなかった。その代わりに、自分なりのベストは尽くしてね〜とは伝えた。一時、朝の遊びの時間に、「ほんとは今日の遊びは鬼ごっこなんだけど、みんながリレーの練習やりたいって言うから変えてもいいですか?」という声が出たときに、「数は少ないかもしれないけど、鬼ごっこやりたい子たちの気持ちも真っ当で尊重されるべきだし、そもそもみんなで決めたルールを変えるのであればみんなで話し合って合意を得る必要があるんじゃない?」とクラスの凝集性に僕自身がブレーキをかけて乗らないようにした。多分、そこで僕がそこに乗っかってしまうと、リレー命!の多数派が少数派のコミットメントの低さをなじり始めるということが起きる可能性大だし。

 

とまあ、6つ挙げてみた。

 そして、うれしかったこと。それは、常に練習のときから圧倒的な安定感を見せて1〜2位を保っていた黄チームに対して、常に3位だった白チームが最後まであきらめないで一丸となって土壇場まで練習をつづけて、見事本番で1位に輝いたこと。本番での彼らの走りは、ちょっと神がかっていた。その立て役者になったのが、白チームのKくん。幼いところがあって、男子、女子に対するこだわりがつよく、いままでなかなか男女の壁を越えようとしなかった彼が、白チームを1位にするために「いまは男子とか女子とか言っている場合じゃないんだよ!いつも3位でくやしくない?絶対1位とろうぜ!」とみんなに檄を飛ばし、普段の彼からは想像できないようなリーダーシップを発揮していたこと。そしてその彼の熱に見事にこたえた白チームのメンバーたち。つくづくすごいなあと思った。こういう風に、行事の中で子どもってのは成長していくものなんだね。リレーのあと、泣いてる子どもたちもちらほら。人間ってうれしいときにも涙が出るもんなんだよね。それを身を以て知れただけでも、すごい体験になったね、と僕もほんとうれしかった。

 この経験を糧にして、僕も子どもたちも、ほんとーにいろんな気づきをえることができてよかったな〜。僕自身振り返ってみると、子ども時代、学校に何にも期待してなかったし、運動会とかしちめんどくせーと思うような子どもで、高校の運動会もさぼっていた過去があるので、大人になって教師という立場でこんなに胸があつくなる体験を運動会でするというのは、自分の子ども時代をやり直している感があって、おもしろいものだなあと思っている。

 さて、明日からまた普通の毎日が始まる。ハレがおわって、ようやくケの日々がやってくる。ほっとすると同時に、地に足つけて毎日過ごしていかないとね。ケの日常、楽しみ。

 

 「ドラマは終わりじゃない、筋書きも忘れた。新しいシーズンが来る」

 

みんなの意気込みやよし

 明日はいよいよ運動会。運動会の練習も今日でようやく一段落。特に気合が入ってるのが、5年生の対抗競技であるクラス全員リレー。1学期の終わりから、練習を始めて、自主学習でバトンパスや速い走り方の研究を重ねてきた子もたくさんいる。クラスの8割方は、「やるぞー、オー!」みたいなノリで一丸となっていたけど、残りの2割弱はそういうノリになかなかついていけない、そういうのちょっとしんどいなーと感じる子どもたち。僕自身を振り返ってみると、間違いなく後者タイプの子どもだったので、みんなでゴー!的なノリを子どもたちに押し付けるつもりもなく、それぞれがそれぞれのスタンスで、でもやるからには自分のベストは尽くして競技に向かい合ってくれればいいなあ、と様子を見ていた。

 リレーに対してめんどくせ〜みたいなノリの男子も何人かいたんだけど、その中の一人が実際に走ってみると、バトンパスが結構うまくて、これはすごい!とびっくりした。でも、みんなの前で思い切り褒めるのもなんだか白々しいから、ぼそっと「△くんって地味にうまいよね。センス感じる」とその子の友達に伝えたところ、それがめぐって本人の耳に届き、本人は結構その気になったみたいで、以来、リレーに積極的に向かい合うようになった。彼を起点にして、まわりのローテンションだった友達たちも徐々に頑張るように。この変化のプロセスが見ていてうれしかった。彼らは、みんなで円陣を組むときも、みんなで気合の声をあげるときも、声も超小さいし(笑)、どこか距離感があるんだけど(そのノリについていけないかんじ)、走ることには一生懸命でなんかいいな〜と思った。まわりも、そのノリを許容しつつ「たしかに、あいつ地味にうまいよな!」とか「テンション低いまま速く走るのウケる!」みたいにお互い笑えるかんじなのが「自由の相互承認」の一つの姿なのかもね〜と思ったり。(こじつけ?)

 やることはやりきった。人事を尽くして天命を待つ。明日の子どもたちのがんばり、楽しみ。

 

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黒板にみんなの思いが溢れている。

 

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アニョハセヨ〜って。笑

 

POSITIVE feat. Dream Ami

POSITIVE feat. Dream Ami

 今日は踊ってください、未来には期待したいし!